Final Cut / Pink Floyd (1983)
Roger Watersのソロ3作といいながら、いきなりフロイド作品を紹介するってのも反則ですが、
内容的には明らかにWatersのソロであるというのは、誰でも認めるところであります。
Dark Side of the Moon以来Waters色が強くなっていき、The Wallが大ヒット。ソロでやっていける自信をつけたんでしょう。もはやフロイドを続ける気がないのは見え見え。
The Wallの完結編であるFinal Cutは「まるで念仏、眠くなる」という評価も多い。
それでも私は好きです。丁寧に緻密につくってます。所々しか出てこないギルモアのギターもオイシイ。前作The Wallと同じメロディが時々出てきますが、それは完結編だからだ、という解釈をしました。そのときはね。
The Pros and Cons of Hitchhiking (1984)
もうフロイドなんかやめちまえ、という事で本当にソロ名義で出したアルバム。
フロイドのアルバムで聞いたことのあるメロディが多数。この人の頭の中には、新しい曲を作ろうなどという考えはない。新しいコンセプトアルバムを作ろうということだけ考えてるんでしょう。
私の記憶が確かならば、日本盤LPのタスキのコピーは「それにしても美しいのはクラプトンのギター」でした。手元にあるのは輸入盤のLPとCDだけなので確認できませんが、非常に印象的だったので覚えてます。
たしかに、Watersワールド全開なので、曲が曲になっていない。延々と続く念仏。それに絡みつくエリッククラプトンのギター。このギターがおいしすぎる。ギルモアちゃんがいなくてもクラプトンさえいればおいしい。逆に言えば、ギターを抜いたら結構キビシい。
Radio K.A.O.S. (1987)
つまらん。全然聴いてない。永い事聴いてないので、内容を忘れてきた。
コンセプトアルバムの手法を更に追求したということなんでしょうが、凝り過ぎです。
まずアルバムを聴く前の予備知識として、細かい設定が解説を読まなくてはならない。これを読んでいる段階で飽きてきた。一通り読んで理解したところで、アルバムを聴く訳ですが、ストーリーが妙に凝っているだけで、つまらん。
「それがどうした」と思っちゃうわけです。たしかに核の問題は重要ですが、それが切実に伝わってきません。単に茶化しているだけにも見えます。
The Wallの解説で、「Watersの個人的な内容であるにも関わらず売れた」というのを読んだことがありますが、その裏を返せば「個人的な内容なので妙に生々しく、痛々しさがヒシヒシと伝わってきた」ということだと思うんです。だからこそ売れたんです。
一方、Radio K.A.O.S.の場合は、単に一般的な社会論を述べているだけに見えます。たぶん色々な思いを込めているんでしょうが、凝った設定に覆い隠されて生々しさが伝わってこないのだと思います。
曲調にはちょっと変化が見られます。当時のニューウェイヴに合わせたのでしょうか。コンセプトが重要であって曲調なんてのは二の次なので、時代に合わせておけばよろしいという考えだったのかもしれません。結果、おいしいギターがありません。
ニューウェイヴはニューウェイヴでとても好きですが、Watersのニューウェイヴはつまらんです。
Amused to Death (1992)
はい、ギターがジェフベックです。おいしいです。とてもおいしいです。ベックのギターパートばっかり聴いています。
結論:
Watersは、おいしいギタリストと組んで、なんぼのもん。
クラプトン、ベックときたんだから、次はジミーペイジと組めば、Dazed and Confusedを彷彿とさせるようなスゴい曲が出来るであろう。というのは私の幻想にすぎないであろう。